武田信玄と井伊直政の相性は100%!? 戦国武将どうしの相性をまとめて鑑定 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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武田信玄と井伊直政の相性は100%!? 戦国武将どうしの相性をまとめて鑑定

歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第26回 ~戦国武将まとめて相性鑑定 その1~

○豊臣秀頼の頼みの綱は、黒田官兵衛だったか?

 秀頼の父・豊臣秀吉の死後、家康が影響力を強め始めた。天下分け目の大戦「関ケ原の合戦」で家康が勝利すると、その勢いは増し、豊臣家の蔵入地の4分の3を削減し、家康に従わせようとした。しかし、豊臣方がこれに応じなかったため、危険因子である豊臣家を滅ぼすという決断に至ったという。つまり、徳川家とうまく折り合いをつけていれば、豊臣家の滅亡は免れたのかもしれない。

 今回の相性鑑定結果によると、秀頼と相性のいい武将はほとんどいないが、唯一、黒田官兵衛との相性は90%。官兵衛は、秀頼の父親である、豊臣秀吉のもとで軍師として活躍し、幾多の戦いを勝利に導いてきた。豊臣恩顧の大名でありながら、なぜ豊臣家を離れるに至ったか。様々な理由があるだろうが、最大の理由は折合いの悪かった石田三成だろうか。(こうなると、石田三成の生年月日がわからないのが、悔しいところであるが…)結局、官兵衛は、関ケ原の合戦で徳川家康につき、息子・長政を含め目覚ましい活躍を見せた。その後も、黒田家は家康のもとで何かと引き立てを受け、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で、長政は徳川秀忠に属して盟友の加藤嘉明とともに陣を張り、豊臣方と戦っている。

 1604年、江戸幕府設立の翌年に亡くなった官兵衛は、幼き頃の秀頼公しか知らないだろうが、もし石田三成とうまくいっていたら、もし成長した秀頼に出会い話を交わすことがあれば…歴史が変わっていたかもしれないと思う。

次のページ全員と相性がいいのは、武田信玄! 

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妃萃(本名:油川さゆり)

ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。


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